文治2年(1186)、平安末期の大歌人である西行法師が、当時歌枕の地として名高かった「陸奥の野田の玉川」を訪ねたと伝えられています。
そのことから、西行法師がここ玉川海岸の景色の美しさに魅せられ、しばし草庵を結んだとされる場所で、「野田の玉川」にちなむ和歌が記された句碑(※)が建てられています。
(「草庵を結ぶ」・・・お坊さんなどが、庵(小屋のようなもの)を建て、俗世と離れて暮らすといった意味)
小高い丘の上にあり、そばに玉川神社があるこの場所は、玉川が流れ込む玉川海岸が一望できる眺めの良い場所です。
(※)「みちのくの野田の玉川」にちなむ和歌が記された句碑
・夕されば 汐風こして陸奥の 野田の玉川 ちどりなくなり(能因法師)
・みちのくの 野田の玉川見渡せば しほ風こして 氷る月影(順徳院)
・玉川や 汐も眞水も 秋の声(重厚)
・玉川の 玉まさるかと 秋の雨(夜来)
とある如く、野田の玉川は、古くから歌枕として有名である。同名異地の野田の玉川が全国諸所にあり又を証拠だてる資料が不足だとしても、この地の人々はこの地を「みちのくの野田の玉川」として疑うことをしない。それでいいのであり「旧蹟遺閣」に云う「さだめがたし」なのである。(「野田の詩ごころ歌ごころ」より引用)