野田漁港に突き出した約50メートルの断崖。
火山灰と砂が溜まってできた白い地層が、砂や礫岩が堆積した地層、挟まれ美しいコントラストの縞模様が見られます。
また
1175年(安元元年)、平重盛は宋の霊隠寺へ黄金を送り、息子二人を派遣するなどして平家の安泰を祈願させました。やがて、珊光国師らとともに帰国する際、船が大しけに遭い、野田村の長根浜(現在の「大唐の倉」)へ漂着したと言われています。このときすでに平家は滅亡しており、都への上洛を断念した珊光国師らは、野田の地に寺院を建立し、無量山小松寺海蔵院と称しました。「小松寺」は平重盛の「小松内大臣」から、「海蔵院」は漂着した「大唐の倉」にちなむものと言われています。
野田層群 大唐の倉
久慈市から野田村にかけては「野田層群」という地層が広がっており、久慈市半崎でもこの大露頭を見ることができます。
白い層は火山灰と灰が水に流されて堆積した凝灰岩層で、発見された多数の亜熱帯性植物化石から、およそ6,000万年~3,000万年前(古第三紀の暁新世から始新世)の地層と考えられています。