大正・昭和時代の歌人で教育者の
50年に及ぶ教員生活のかたわら、短歌を詠み続けました。
日本歌人クラブ名誉会員、第1回北海道文化賞、北海道新聞文化賞受賞、第1回小樽市功労者(教育文化)表彰。
大正8年に刊行した歌集『隠り沼(こもりぬ)』は高く評価され、一躍歌壇(歌人たちの社会)に認められました。
観螢の人生には幾度もの試練があり、『逆境の歌人』と呼ばれています。
独自の『北方的生命感的叙情』の理念を打ち立て、北海道の自然と人生の厳しさをうたいました。
地元・宇部小学校の校歌の作詞もしており、久慈市内各地(小袖など)、普代村にも歌碑が建てられています。
平成五年に「道の駅のだ」が道の駅指定された時に野田村芸術文化協会により建立した歌碑です。
文字を書いた南 奎雲氏は、平成27年秋の叙勲で瑞宝双光章を受章されています。